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テレフォン説法第三十六回
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2010.03.09 テレフォン説法

テレフォン説法第三十六回

 テレフォン説法第三十六回(昭和五十九年十二月)

 

 テレフォン説法第三十六回をお送りします。

十二月八日は釈迦が悟りを開かれた日でありますが、一昨年のこの日、漢字の大家、諸橋徹次氏が亡くなりました。諸橋博士99年の生涯の中で特筆すべきは「大漢和辞典」13巻の出版です。

 

 この仕事は大正八年から十年にかけての中国留学時代に始まっています。帰国後、大修館の鈴木一平社長が「従来の二倍くらいの漢和辞典を編集して欲しい」と申し入れた昭和二年頃から本格的な作業に入りました。

 朝は四時頃から編集室に閉じこもって文字との斗い(たたかい)が続きました。以来18年、仕事が大体のヤマを越えた昭和20年に戦災にあって、一万五千ページの組み置き原版は、無残にも鉛の塊りになってしまいました。

 半生の努力は水泡に帰したかに思われたが、幸い疎開先に校正刷りが残っていました。といっても、すべてのページに朱が入れてあるので、最初からのやり直しに近いものでした。

 その間に四人の助手達は次々に死亡、諸橋さんの右目はついに失明、左目の視力も極度に失われていましたが、それでも作業に没頭して、実に35年の歳月と延べ26万人を動員したこの世紀の大事業はついに完成したのです。

 親文字5万、熟語成語52万、まさに中国の康煕(こうき)辞典をしのぐ世界的スケールです。

例えば「天」の字には21種類の意味があってこの熟語が1702、58ページに亘って解説しています。徳川家康が駿府城でいった名言「天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり」の言葉も、その元は六韜(りくとう)が出典であることを知ったのも、この辞典のお陰です。後世どれだけ多くの人々に恩恵を与えることでしょう。

 

 しかし、この大辞典が世に出るためには、諸橋博士の畢生(ひっせい)の努力と、これを助けて倒れていった四人の助手を含めた多くの協力者、更には出版社をはじめ関係者多数の血と汗が込められています。

 そう思った時、私の頭には菜根譚(さいこんたん)の一説が浮かびました。「身を立つるに一歩を高くして立たざれば、塵裡(じんり)に衣を振い、泥中に足を濯う(あらう)が如し。いかんぞ超達せん」

 

 偉大な仕事をする為には、常に世間の人より一歩高い理想を立てていないと、塵の中で衣服をふれば、衣服は一層塵にまみれ、泥の中で足を洗えば、足は一層泥まみれになるように、いつの間にか低俗化して理想に達することは不可能だ-この言葉を思い出しました。

 人間に内在する無限の可能性は放っておいては現れません。とかく安きにつくのが人情ですが、そうなれば人としての弱さが露呈されるだけです。お互いに人間としての美しさを磨き上げる為に、きびしさを苦痛と感じないまでに己を高めたいものです。

 

 若しわれわれに理想や夢がなかったならば今日の苦しみに、どうして打ち克つことが出来ましょう。目的が叶えられると思えばこそ、途中の苦労にも何とか耐えられるものです。

 諸橋さんの座右の銘は論語の言葉「行くに径(こみち)に由らず」でありました。漢和辞典は文字通り大道をゆく大辞典になって、不滅の光を後世に残しました。