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テレフォン説法第40号
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2010.08.25 テレフォン説法

テレフォン説法第40号

テレフォン説法第四十号(昭和六十年四月)

 

 テレフォン説第40号をお送りします。

今日は 「錦を衣て(きて)絅(けい)を尚う(くわう)」 中庸の言葉です。錦を着たらその上に絅、薄衣(うすぎぬ)を被いかけて、美しさを外に現さないのが君子のたしなみである-こういう意味です。

 沼津西高等学校の会議室へ行くと、この学校の創立者である江原素六さんお書いた「衣錦尚褧(いきんしょうけい)」の額がかかっています。文句もいいが文字も誠に立派です。世の中がどんなに変わっても「錦を衣て(きて)絅(けい)を尚う(くわう)」という奥ゆかしさを失いたくないものです。

 伝教大師最澄が比叡山の上に延暦寺を開いたとき、同時に人材養成の機関、今で言えば学校を作りました。それは人間ほど大切なものはない-という考えに立っていたことを示します。家も会社も地域社会も国も、人によって栄え、人によって亡びることに間違いありません。

 

 伝教大師は人間を四種類に分類しました。

第一は国宝=能く(よく)良い能く行うは国の宝なり。発言力もあり実行力もある人物は国宝である。

第二は国師=能く言うこと能わざるは国の師なり。言うことは出来るが、実行力の伴わない人は国の師である。

第三は国用(こくゆう)=能く行い言うこと能わざるは国の用なり、実行力はあるが口下手な人間は国の用、用材である。

第四は国賊=言うこと能わざる、行うこと能わざるは国の賊なり、国賊だときめつけています。

 

当時、比叡山で学ぶ人達が、どんなに厳しい教育を受けていたか、想像に絶するものがあります。古来、比叡山の生活を「寒湿論貧(かんしつろんひん)」の四文字で表します。山の上で寒い。雲や霧で湿気が多い。師と弟子が学んだところを論じ合い、切磋琢磨する。生活は貧しく贅沢をしない。

山上の厳しい寒さと斗いながら、湿気の多い処で粗食に耐えて、激しい勉学を続けた当時の学問僧の生活は、まさに命がけの修行であったと思われます。

 

一昨年二月十五日、京都清水寺の大西良慶師が百七歳で亡くなりました。明治、大正、昭和に亘って、ともすれば忘れ去られようとした「心の世界」を説き続けた人です。

こういっています。

「今世紀の人類は、便利や利益ばかり考えて機械に負けてしまいよった。"我"に敗北したということや。今の日本はその見本やの。人間という字は人の間と書く。国と国との間、親と子の間、夫婦の間、教師と生徒の間、みんな間柄がある。間の無いのは間抜け。間が違うたら間違いやの」こう説いております。

 

 そのあらゆる間柄が崩れて、毎日毎日間抜けだらけの事件、間違いだらけの事件が相次ぐ昨今の世相です。

 ただガメツイだけの人間がシャシャリ出て大きな顔をする世の中で、今こそ「衣錦尚絅」その底光りする美しさ、奥ゆかしさを強調したいと思います。

 「ボロはつけても心は錦」と水前寺清子が歌っていましたが、心の錦は一夜漬けでは身につきません。どんな立派な鎧を着ても、それは所詮、鎧でしかないのです。