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2012.06.02
テレフォン説法
テレフォン説法第46回
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テレフォン説法 第四十六号(昭和六十年十月)
テレフォン説法第46回をお送りします。
今年の夏は幸に大きな台風がなくて、豪雨による被害は少なかったようですが、古来モンスーン地帯での大雨とそれによる洪水は、人間に大きな脅威を与えてきました。
中国では黄河の氾濫を治めた者が天子として崇められ、政治と言えば専ら治山治水を意味した時代がありました。
その現代版がエジプトの英雄、ナセル大統領が執ったナイル河の治水政策でありました。びわ湖の七倍もあるアスワンハイダムが満々とナイル河の水を湛え、そして数年が過ぎると予想しなかった事態が起こりました。今まで洪水のたびに下流へ押し流されていた土砂がダムによって流れてこないため、下流の土地の肥沃度が目に見えて低下してきました。
灌漑には成功しても、砂漠地帯の田畑には絶えず肥沃な土の補充が必要です。農民は洪水に泣かされない代わりに、肥料として農薬を使わなければならず、エジプトの農業は根本的に変質を迫られることになりました。
その上、大量の水を湛えるこの巨大ダムから立ち上る水蒸気は、異常気象を招く原因にもなりました。人間叡智の勝利を思わせた世紀の偉業、アスワンハイダムの建設も、所詮、人智の有限性を示す結果に終わりました。
自然と対立し、これを征服しようとする西欧の考え方と、自然との共存を計る東洋人との違いを思わないではいられません。
古代中国で水を治めた人は禹(う)です。「禹の水を治むるは水の道なり」(告子下)と孟子が言うように、その秘訣は低きにつく水の本性にさかわらなかった事にあります。
甲斐の武田信玄は「甲府盆地を水から守れない者が天下を取るといっても、もの笑いの種になるだけだ」と言い、釜無川と御勅使川(みだいがわ)の合流点に「かすみ堤」を築いて、治水に成功しました。彼は力で水を征服しようとはせずに、自然の地形を巧みに利用して、幾つもの堤防を重なり合うようにして作り、その間に水を誘って遊水地に導くというやり方です。
先年の台風では釜無川の下流にあたる富士川で、東海道線の鉄橋が流失しました。
富士川の 流れは速く
けさ落ちし 甲斐の落葉や 田子の浦
と歌われるほどの急流です。橋脚が根こそぎ流された原因の一つは、砂利の乱掘でした。
信玄が自然の勢いを上手に生かす智慧を働かせたのに対し、戦中から戦後へかけての森林の無計画な伐採と砂利の乱掘は、自然を利用するだけで、その勢いを無視してきました。
今こそ水の力を見直さなくてはなりません。そこで古来いわれている「水五原則」をご紹介します。
1、自ら活動して、他を動かしむるは水也
2、常に己の進路を求めて止まらざるは水也
3、障害にあい激しくその勢いを百倍し得るは水也
4、自ら潔く他の汚れを洗い、清濁あわせ容るるは水也
5、発しては雪霧となり、雨雪と変じ、凝っては玲琉たる鏡となり、然もそ性を失わざるは水也
この世における些事(さじ)に一喜一憂する人間にとっては、水に学ぶことの多い毎日です。
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