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テレフォン説法第四回
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2007.06.29 テレフォン説法

テレフォン説法第四回

テレフォン説法第四回目
(昭和五十七年四月)
 
愛語よく回天の力あり
 
 愛語とは愛情のこもった語、愛語はよく回天の力がある、天を回す力がある、天地をひっくり返すような力がある―ということです。
 
 京都の郊外、嵯峨にある天龍寺というお寺があります。臨済宗天竜寺派の本山です。ここに関精拙という管長さんが居られました。この方は大変ひきしい方であったようです。この精拙老師は南蛮から渡来した大きな焼き物の皿を非常に珍重されて、之を床の間に飾って朝夕眺めて楽しんでいました。管長さんの身の周りのお世話をする人を随身といいますが、一人のお小僧さんが随身として毎日部屋の掃除をしたり、洗濯をしたり、食事の世話をしていました。
 或る日のこと、この精拙老師が大事にして床の間に飾ってあるお皿の表面に、うっすらとほこりがついているのを見た随身のお小僧さんが、そのほこりを拭こうとしてお皿を縁側に持ちだした時、何かにつまづいてバッタリ倒れました。その瞬間、この立派な飾皿はコッパミジンに砕けてしまいました。さぁ大変。普段でもあのきびしい老師です。何と言って謝ったらいいのか、いや謝っただけではとても済むまい。死んでお詫びをするほかはないだろう―もうお小僧さんは小刻みに震えて居りました。そこへ皿の割れる音を聴いて老師が入ってきました。何を言う必要もありません。一目瞭然、あの見事な南蛮渡来の皿は、無残にも砕け散って居ります。傍に小僧が呆然と立ちすくんでいます。その時、老師の口をついて出た言葉は何であったか
「小僧、怪我はなかったか。」
この一言でありました。それこそ目が飛び出るほど叱られると思っていたのに、老師の第一声は「怪我はなかったか」と小僧の身を案じてくれる言葉だったのです。
 このお師匠様の為なら命を捧げてもいい。以来このお小僧さんは、昼も夜も身を粉にしてこの老師に仕えて三十余年、老師のあとを受け継ぎ、今、天竜寺派管長として活躍する関牧翁老師こそ、この時のお小僧さんでありました。
 たった一言「小僧怪我はなかったか」の一語が、一人の人間を救い、しかも名僧に仕立て上げたわけであります。
「愛語よく回天の力あり」
 
 昨年の暮、沼津の第一小学校の杉山五郎校長がなくなられて、その告別式が行われました。杉山先生の遺影の前で六人の生徒が、各学年を代表してお別れの言葉を述べました。そのどれもが参列者の胸を打つものばかりでしたが、特に次の言葉は忘れる事ができません。
「夏の暑い日のことでした。校長先生が一人でドブ掃除をしているのをみて、僕はその手伝いをしました。とても臭くて途中でいやになりましたが、我慢して最後までやりました。二、三日すると、校長先生から一枚の葉書が届いて、ドブ掃除をした事を褒めてくださいました。僕はこんなに嬉しかった事はありません。この葉書は僕の宝です。大事な大事な宝です。額へ入れて机の上に飾ってあります。先生どうも有難う・・・」
これが校長先生に対するお別れの言葉でした。
 いま、青少年の非行や校内暴力が、大きな社会問題になって、真の教育とは何であるかが問われています。若し子供が可愛いならば、子供の中に潜んでいる素晴らしい力、自分の欲しいものを我慢する力、自分のしたくなく事でもすべき理由のあるときにはする力、これを見透かして育ててやる事だと思います。子供がやがて大きくなって、親の許を離れ、どんな境遇にあっても、その中から真の幸せを感じとっていけるように、いまからしっかりと躾けてやる事が大切だと思います。
 
「愛語よく回天の力あり」
今日はこの言葉をお伝えいたしました。
               有難うございます。