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2007.02.01
"Report"from Asahi
”Report”From Asahi①
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毎月一回、テレフォン説法と合わせてお送りさせていただいております、朝日新聞社記者:牧野愛博氏の生の声、ReportFromAsahiを一号から掲載したいと思います。第一号は、まだ小泉政権が序盤戦だった頃の平成14年10月号掲載のものです。
No:1「首脳会談」今年九月は「首脳会談」の季節になった。日米首脳会談、日朝首脳会談と、今日本人がもっとも注目する二かここが相手であれば当然だろう。首脳会談は、お隣の韓国では「チョンサン・フェダム(頂上会談)」ち表現される。二カ国関係を決めるうえで最高の舞台というわけだ。では、最近の日本の首相たちはこの首脳会談にどう臨んできたのだろうか。村山富市元首相は社会党一筋だったから、政府関係者にパイプもなく、得意分野の社会、労働関係以外は知識に乏しい人だった。一方で、そのことを隠さずに振舞った。執務室でも事務方の説明に謙虚に耳を傾けた。首相官邸の廊下でわれわれが質問をしても「そうじゃのう」と大分弁で丁寧に答えた。首相就任直後の日米首脳会談で、クリントン大統領が村山氏の人柄に触れ、「彼とならやっていける」と述べたのも有名な話が。橋本龍太郎元首相は目立ちたがり屋だが、その自分の性格をうまく利用して外国の首相を「良い気分」にさせてしまうことが得意だった。96年6月、韓国・済州島で金泳三大統領と夕食を共にした時。部屋の隅で「どんな話をするのか」と見ていたら、橋本氏は酒瓶を持つ腕の肘に、もう一方の手をさえる韓国式のスタイルで、金大統領に酒を注いだ。プライドの高い大統領は大喜びだった。同じようにエリツィン大統領にも気に入られた。森善郎元首相は「永田町の宴会部長」を自認すると通り、首脳会談でも、いわゆる雑談には強いが、首脳会談には欠かせない「政治決断」が出来ない人だった。彼が首相時代、外務省幹部に「森さんが日朝首脳会談をやりたがっているのは本当か」と聞いたら「冗談じゃない、利用されるのがオチだ」と一笑に付されたことがある。その意味では、最近の首相も大なり小なり、みなそうだった。村山氏は決断しようにも、それに足るバックボーンも知識もなかった。橋本氏は相手首脳には気に入られたが、お互いが国のトップから座を降りると、その合意は急速に有名無実化した。北方領土問題の「橋本・エリツィンプラン」などは好例だ。首脳会談は「責任を取る場」でもある。法律や前例の範囲を超えなければ、相手国と合意できないときがある。役人にはできない。彼らは責任を取れないから、決断も出来ない。決断には「判断する知識」「決断後の影響を見通す先見性」「周りを説得して納得させる人間性」、そして何より「責任を取るという無私の姿勢」が必要だ。小泉首相の周辺から漏れてくる噂を聞く限り、こうした条件を備えているのか、少し心配になる。今では政権も安部政権へバトンタッチされ、朝鮮半島情勢も随分と変化してきております。少し前の情勢をもう一度振り返り、今を考えてみるのも非常に面白いことかと思います。今後の掲載も楽しんでいただけたらと思います。