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テレフォン説法第一回目
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2006.12.27 テレフォン説法

テレフォン説法第一回目

テレフォン説法第一回(昭和五十七年一月号)
 
テレフォン説法第一回をお送りします。
 
京都の東に比叡山がそびえています。千二百年の昔、その比叡山に延暦寺を開いたのが伝教大師最澄であります。
そのとき伝教大師は人材養成の機関、いわば学校をつくりました。その学校の規則、学則というか、校則というか、それを「山家学生式(さんげがくしょうしき)」といいます。山の上に作った家だから山家、―― 山の家。学生が守るべき規則だから学生式。当時の比叡山は今で言えば大学のようなものでありました。昔の人は、勉強するならばお山へ、こういったそうです。お山というのは比叡山のことです。
伝教大師がおつくりになった「山家学生式」に有名な言葉があります。
 
径寸十枚 これ国宝にあらず
一隅を照らすもの これ則ち国の宝なり
 
径寸十枚これ国宝にあらず、直径一寸の小判十枚は必ずしも宝ではない。一隅を照らす人物こそ国宝である。この言葉は千二百年という長い時間を飛び越えて、現代の我々の胸に響くものがあります。
「物で栄えて、心で亡びる」といわれる今日、国も企業も商店も、人で栄え人で亡びることに間違いありません。「一に人、二に人、三に人」と申します。千二百年の昔これを叫んだ伝教大師の卓見は、本当に素晴らしいと思います。
 
一隅を照らす人物、一隅というのはいま私たちの座っている処、そこでいつも照り輝いているという事は、その人が居ることによって家庭が明るい。その人が居ることによって職場が楽しい。またその人が居ることによって社会が住みよい。そういう人こそ宝である―こう伝教大師は言っております。
それでは一体「国宝」とはなんでしょう。
 
国宝とは何者ぞ 宝とは道心なり 道心ある人を名づけて国宝となす。
 
「宝とは道心なり」道心の道という字を見てください。首にシンニュウ(部首の意)かけて道という字です。シンニュウは走るという字ですから、道は首が走ると書くわけです。首が走れば当然「体」も走ります。首も体も共に一つの目標に向かって突っ走っていく。将に「体当たり精神」が道心ということではないでしょうか。
私は毎年、甲子園の高校野球を見るのが楽しみの一つなのですが、あの大きなアルプススタンドが、五万人の興奮のルツボとなって、選手の一投一打に大歓声をあげます。その異状な雰囲気の中で、若い選手たちは力の限り投げ、打ち、走る。一点を得るためには何としても一塁に生きなければなりません。誰の目にもアウトと判る凡ゴロでも選手は一塁ベースに向かって頭から滑り込む。これを「ヘッドスライディング」といいます。ヘッドスライディング「首が走る」と訳します。道心の道です。おのが任務に向かって「体当たり」で立ち向かう人こそ、「道心ある人」であり、「一隅を照らす」人物ではないかと思います。
今日は伝教大師の山家学生式の一節をご紹介申し上げました。どうもありがとうございました。
 
<今日の言葉
   径寸十枚 これ国宝にあらず  
     一隅を照らすもの      
           これ則ち国の宝なり
 
この年は映画E・Tが大ヒットをし、一千万人の観客を動因しました。今では携帯電話などの影響で劣勢のテレホンカードの利用が始まりました。なお、東北・上越の各新幹線が開業した年でもあります。第一回の連載が始まった世相はこのようなものだったようです。次回は57年2月号の予定です。