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テレフォン説法第九回目
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2007.12.13 テレフォン説法

テレフォン説法第九回目

テレフォン説法第九号
(昭和五十七年九月)
 
 テレフォン説法第九回をお送りします。
 
 白い色には白い光、赤い色には赤い光
 その持ち味を生かせ
 
 「白色白光(ビャクシキビャッコウ)赤色赤光(シャクシキシャッコウ)」とはお経にある言葉です。明治の先覚、福沢諭吉翁は「無理をしてまでも学校を出るよりも、むしろ実務を身につけよ」と言っています。事実、学歴なしに実社会で名をなした人物も少なくありません。諭吉の言葉は、昨今の学校へ向って手を合わせるような「学歴信仰社会」への痛烈な警告ともいえましょう。学歴のご利益を求める狂信的な態度は、もうこのへんで反省すべき時です。
 そうは言っても、現代は社会機構がガッチリと出来上がってしまって、学歴が無いと中々高い地位に就きにくいのも事実です。各界の管理職にある人々は、就職希望者の学歴もさること乍ら、「努力する意欲」の有無を先ず徴すべきでありましょう。学歴があっても「やる気」が無かったら、学歴は「猫に小判」であり、時として「気違いに刃物」ともなりかねません。
 歌人の吉井勇は大そう酒を愛した人だけに、燗のつけ具合が人一倍やかましかったそうです。生前に吉井さんが目をかけていた料亭のお燗番に、燗のつけ方の秘訣を聞いたところ「一級酒は一級酒なりに、二級酒は二級酒なりの味を出す工夫をするのが燗番の腕だ。二級酒に一級酒まがいの味を出させようとするのは邪道だ」と答えています。
 勿論人間は酒と違うから、銘柄で人間の資格を決めることはできません。「人は生れてはなく、行為によって価値が決まる」と釈迦は申しております。同時に「白色白光、赤色赤光」で、すべての人々がそれぞれに異なった光を発してこそ、この世の中が変化に富んだ妙味のあるものになって参ります。
 釈迦の弟子で最も知能指数の低いチューラパンタカは、兄さんから「お前の才能ではとても無理だから、修行を諦めて家へ帰りなさい」と申し渡され、ションボリして寺の門に佇んでいました。それを見た釈迦は「チューラパンタカよ、出来ることなら“塵を払わん、垢を除かん”という一句を覚えなさい」といって一本の箒を渡して、これで毎日寺の庭を掃除するように教えました。
 毎日毎日彼は「塵を払わん、垢を除かん」と一生懸命に唱えながら境内の掃除をして、三年後年が過ぎましたが、落ち葉は毎日毎日散って尽きることがありません。
 ある日、彼はこつ然と心が開けました。そうだ。「塵を払い垢を除く」というのは、心の塵を払い、心の垢を除くことだと気づいたのです。そして秀才と言われた兄よりも一足早く悟りを開いて、二千五百年後の今日まで経典にその名を残すことになりました。
 秀才とはまた一味ちがった方法で悟りを得たこの教育こそ、今日あらためて検討する必要がありはしないか。教育は写真の撮影と同じく、アングルを変えるとき、その人だけが持つ素晴らしさを発見できることもありましょう。
 教育学者の原田実教授はこれを「随人観美(ずいじんかんび)」といっております。「人に随って美を観ずる」この世の親ごさんや教育者、管理職の方々にも、是非この随人観美を心がけていただきたいと思います。
 
 「白色白光、赤色赤光、その持ち味を生かせ」
              どうもありがとうございました。