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テレフォン説法第八回
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2007.12.01 テレフォン説法

テレフォン説法第八回

テレフォン説法第八回
 
無財の七施
 
テレフォン説法第八回をお送りします。
今日は「無財の七施」についてお話いたします。「無財の七施」無財は財産が無いという事です。財産が無くてもできる七つの施し、七施の施はお布施の施という字です。お金を使わなくても、物を使わなくても七つの施しができるという訳です。
    捨身施(シャシンセ) 身を捨てて行う布施。之は身をもって他人の為に働くという施しです。
    心慮施(シンリョセ) 心と慮りの布施、心とおもいやりの施し。人の為の心づかいも施しの一つです。
    和顔施(ワゲンセ) 和やかな顔で人に接するのも立派な施しです。和は昭和の和、ゲンは顔、ガンではなく仏教ではゲンと読みます。
    愛語施(アイゴセ) 愛情のこもった言葉を施す。
    慈眼施(ジゲンセ) 慈愛に満ちた眼で人を見る。
    房舎施(ボウシャセ) 房は冷房暖房の房、舎は学校の校舎の舎、房も舎も共に家とか部屋とかいう意味です。にわか雨が降ってきた時、雨宿りの為に、軒先を借してやるのも房舎施であり、いま流行の交換学生のために、一夏わが家の一室を提供することも房舎施でありましょう。さらに拡大すれば、あらゆるものを包容することとも考えられます。
    床座施(ショウザセ) 床はユカ、座はすわる。座席の座の字です。電車の中でお年寄りに席を譲ってあげること。また自分が一歩さがって、人にゆずることにも通じます。
この七つの布施、①捨身施、②心慮施、③和顔施、④愛語施、⑤慈眼施、⑥房舎施、⑦床座施。この七つはお金のかからない施しですから、これを「無財の七施」と申します。
 
 
 涅槃経にはわが身を捨てて、仏の道を伝えようとした雪山童子(せっさんどうじ)の話があります。
 法を求めてヒマラヤの山の中を歩いていた雪山童子は、崖の下から聞こえる声に耳を傾けました。「諸行は無常なり、これ生滅の法」すべてこの世にあるものは変化し、うつろいゆく。一切のものが生じたり滅したりしていくのがこの世の法則である。童子はそこ言葉に深く感銘しました。崖下を見ると一匹の餓えた鬼がいます。「いまこの世の相を教えてくれたのはお前か?お前の言葉は真理であるが救いがない。きっとそれに続く言葉があるに違いない。是非おしえて願いたい」すると鬼は申しました「俺は腹が減って、これ以上のことは言えないのだ」「そうか、それならば私の体をお前のエサとしてくれてやるから、是非おしえて欲しい」鬼は答えました。「よし、それならば教えてやろう。よく聞け。“生滅し滅し巳りて(おわりて)寂滅(じゃくめつ)を楽(たのしみ)となす”」生滅流転をこの世の実相として肯定し、更にそれを超越した時、初めて心の平安を得ることが出来る―。
 童子は後世の人々の為にこの言葉を傍らの岩や木の幹に書きとめました。これこそ自分が永年のあいだ求めていた真理である。朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり。童子は約束に従って崖の上から、鬼めがけてわが身を投じました。その瞬間、鬼は帝釈天の姿に変わって、童子の体を受け止めた―こう涅槃経は伝えています。
 まさに捨身施そのものであります。
 
 われわれのうちで、知恵ある者は知恵を持って、知恵なき者は力を持って、力なき者は言葉を持って、言葉無きものはほほえみを持って、ほほえみ無き者は祈りをもって、なおかつ人に施すことが出来るのではないでしょうか。
 今日は「無財の七施」をお話しました。