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Report from Asahi六回目
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2007.11.01 "Report"from Asahi

Report from Asahi六回目

“Report” from Asahi  No:5 「約束」
 
 週刊朝日の「地村さんインタビュー」記事が、あちこちで批判を浴びている。弁解のしようがない、100%朝日新聞社に非があるできごとだった。朝日記者の一人として、私からも読者の皆さんにお詫びを申し上げたい。
 取材先との約束を守れないなら記者失格である。記事への不信感を招き、朝日新聞全体の信用を落とす。信用されない新聞はただの紙くずに過ぎない。
 取材先との約束。私にも苦い経験がある。ちょうど10年前。岐阜支局員で遊軍していたころの話だ。
 バブルが弾けて、岐阜県にも不況の波が押し寄せていた。県の主力産業である紡績業にも影響が及び、中小企業の工場閉鎖が相次いでいた。「大手に波及するかもしれない」。そう思って網を張ることにした。会社に「潰れそうですか?」と聞いても、答えてくれるわけが無い。労働組合に的を絞った。ある日、親しくなった組合幹部が「A紡績の工場が危ない」とこっそり教えてくれた。周辺取材をしたら、閉鎖は数ヵ月後に迫っていることがわかった。思い切って、名古屋にあるA紡績の本社を訪ねた。会社幹部は渋々、事実を認めた。
 夜、一本の電話がかかってきた。昼間の会社の幹部だった。「今、記事を書かれたら、即閉鎖だ。社員の新しい就職先が見つかるまで待って欲しい」と懇願された。書いても事実だから問題はないけれど、「人を苦しめるために記事を書いているわけではない」と、幹部相手に格好もつけたかった。「朝日が一番最初に書く」という条件で出稿を先延ばしにすることにした。
 数ヵ月後。不安になりかけたころ、幹部から電話が来た。「待ってくれてありがとう。ようやく整理がついたので、朝日さんに書いてもらおうと思う」。会社にとって不名誉な話なのに、律儀に約束を守ってくれた気持ちが嬉しかった。
 しかし。それだけで話は終わらなかった。
 電話を受けてすぐに、工場の敷地がある市の役所を訪ねた。再開発の見通しや税収への影響などを調べようと思ったからだ。それがアダになった。
 夜、支局で原稿を書いていると、会社幹部から電話が入った。「今、工場に地元紙の記者が来ている。閉鎖を知ってる。あんたが漏らしたのか」と怒鳴られた。「まさか。そんな」。びっくりして二の句が告げない。幹部は「すまないが、朝日だけにという約束は守れそうにない」と言って、電話を切った。
 その夜は一睡もできず、自宅で新聞を待った。午前五時。朝日より早く届いた地元紙の一面にデカデカと閉鎖の記事が載っていた。私の記事も社会面トップだったが、悔しくて声も出なかった。
 「もしや」。そう思い、役所が開くと同時に、前日取材した市助役の部屋に駆け込んだ。「あんたが漏らしたのか?」怒りを抑えながら聞いた。「そうだよ」。助役は、こちらが拍子抜けするほど平静だった。「だって、この市は地元紙に散々お世話になってる。お返しするのは当然じゃないか」
 むちゃくちゃだ。「取材上の秘密」を平気で競争相手に漏らすなんて。約束違反なんてもんじゃなく、明白な営業妨害だ。半年後に岐阜支局を後にするまで、二度とその助役とは口を利かなかった。
 約束。残念ながら、私にはろくな思い出が無い。出稿直前、特ダネの取材先から「やっぱり記事にしないで」と泣かれて生地を取りやめたこともある。デスクに「頭(トップ)を空けて待ってたのに。馬鹿野郎!」と怒鳴られた。取材先に「あと一日待って」と言われているうちに、他社に抜かれた。とりわけ、あの工場閉鎖の出来事は特大痛恨事として、今でも頭にこびりついている。
 週刊朝日のくだんの記者はペケなのだが、朝日の絶対多数の記者は約束を守っている。守れない記者は現場から外される。政治部や社会部の取材先で「朝日はトバシ記事やガセが少ない」「朝日が書いたなら間違いない」という評価もたくさん頂いた。
 工場閉鎖事件の夜、腹が立つやら、悔しいやらで荒れた原稿を書きなぐった。出稿後、ぐったりした私の肩を叩く人がいた。振り返ると支局長がコーヒーを持って立っていた。「ま、元気だせ。お前は朝日の信用も守ったんだから」。
 今回の週刊朝日報道で、そんな支局長の言葉を久しぶりに思い出した。