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テレフォン説法第六回
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2007.10.06 テレフォン説法

テレフォン説法第六回

テレフォン説法第六回目
 
テレフォン説法第六回目をお送りします。
 
「一善は次の一善を容易にし 
         一悪は一悪を容易にする」
本願寺八代目の蓮如上人はこういわれています。
「一度のちがいが一期のちがいなり、一度のたしなみが一期のたしなみなり」
一度まちがえたり足を踏み外すと、それが一生のしくじりになることがある。その反対に一度つつしみをすれば、それがそのまま一生のたしなみになる、とこう申しています。
 私共のかりそめの一つの行動はそのままでは終わりません。必ずや一度やった事は二度三度と続いてゆきます。くせがつくというか、そういう習性になってゆきます。かくして一生を決定し方向づけて参ります。仮に一本のタバコを吸うとします。なかなか一本だけでは終わりません。必ず次の一本をさそい出します。
だからわずか一本が一生のタバコのみになりかねません。一度のちがい、たった一遍の盗みでも、うまくいって味を占めると本物の泥棒になる事もあります。それと反対に、一度良いことをする、やりたいことをがまんすると、それが一生の戒律を守るスタートになります。
 千利休の「酒盃の銘」をご存知の方も多いと思います。
 「酒一盃人酒を呑み、酒二盃酒酒を呑み、酒三盃酒人を呑む」
とあります。酒が人を呑むようになったらおしまいです。酒好きの人は往々にして酒でとんでもない失敗をやりかねません。さりとて酒そのものに罪がある訳ではなく、酒を百薬の長にするか、気狂い水にするかは、一つにかかってそれを飲む人間の側にあります。そうは言っても「適度」ということは、口で言うのは簡単ですが実際には仲々難しい事で、
 「わかっちゃいるけど止められない」―という言葉が一時はやったことがあります。
 法句経にこういう文章があります。
 「いくさに出ること千たび、千人の敵に勝つよりひとり己に克つ者、彼こそ最上の勇者なり」
仏教では昔から苛酷と思われるようなきびしい修行を課している処もあります。例えば天台宗では千日回峰行が現在でも行われています。千日間に亘って比叡山の峰々谷谷を昼夜の別なく、一日に三十~八十五キロも小走りに踏破するという荒行です。然も一日休めばすべてがゼロになるという、人間業とは考えられないような生命の極限にいどむ烈しい修行があります。戦後三十五年間に、八人の修行僧がこの千日回峰行を成し遂げて大阿闍梨(だいあじゃり)という位に就きました。こうした烈しい修行も命がけになれば何人かは成し遂げる人もある訳ですが、修行者が一番苦しむのは、自分の肉体的欲望に打ちかつ事であると申します。本能との戦いに敗れて、あたら人生を台無しにした人が世の中にはどれだけいる事でしょう。戦場で千人の敵に勝つより、己に克つ者こそ最上の勇者である、と釈迦は申しております。
 自ら心中の賊をうち倒し自分をコントロールしてこそ、人生の勝利者への第一歩が開けて参ります。そのためには今日一日が、今日只今が問題であって、明日からタバコをやめよう―という人には永久に禁煙はできないでありましょう。善のつみ重ねと悪のつみ重ねが人生の明闇を分ける事になります。
 
 一善は次の一善を容易にし 
        一悪は一悪を容易にする
 
もう一度この言葉をかみ締めてください。
           どうもありがとうございました