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テレフォン説法第十八回
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2008.06.21 テレフォン説法

テレフォン説法第十八回

 テレフォン説法第十八回(昭和五十八年六月)
 
 真楽寺のテレフォン説法第十八回をお送りします。
 
 今日は聖徳太子十七か条憲法の第七条。
 
 「世に生まれながら知るもの少し。剋く(よく)念いて(おもいて)聖(ひじり)となる」
こうかかれています。
 
 この世の中には生れながらの師匠もなければ、生まれながらの聖人も偉人もありません。よく考え勉強してこそ立派な人物になることができる-と言っています。
 「ローマは一日にして成らず」兎角われわれの目は結果だけを見て論じますが、そこに至るまでには永くきびしい歴史があったわけです。
 文化勲章を受けたような立派な人物を見ると、余りにも偉大なその業績に圧倒されて、自分には到底及びもつかないような距離を感じてしまいます。聖徳太子の言葉はこの点をついています。
 釈迦にしろ、孔子にしろ、エジソンのような天才だって、生れ落ちたときは全くわれわれと同じ赤ん坊であった筈です。
 みんな一歩一歩、一日一日と努力を積み重ねてきた人物です。驚くことも、たまげることもありません。
 さりとて「千里の道も一歩から」始まります。一足飛びに知者学者にはなれません。しかし、誰にでもなれる「可能性」をもって生れてきているお互いではないでしょうか。聖徳太子の言葉は、われわれ凡夫への励ましの言葉であります。
 サリドマイド禍のため両腕を失った吉森こずえさんは、両親をはじめ周囲の人々の愛情と善意につつまれて成長してゆきます。折角つくって貰った義手も、体の成長に合わなくなってからは、足だけをたよりの生活が始まります。同じサリドマイド児のイギリスのマンディちゃんとの文通が始まり、足で描いた絵を彼女に送ります。中学生になると、教室では一番うしろの席に座り、机は用務員のおじさんが作ってくれた特別製。足で字が書けるような低い箱を使います。
 やがて、高校へ進学。他の生徒と全くハンディを感じさせないばかりか、足の指でタイプライターを打ち、盲人のための点字と意欲的に取り組んでゆきます。
 そして愛媛県の短大へ合格。両親の元を離れます。今まで母親に頼っていた洗濯や料理も自分でするようになりました。永年の夢であったヨーロッパ旅行の念願が叶い、イギリスで同じサリドマイド障害を持つマンディさんと面会。彼女の胸にかけられていた婚約指輪を見て驚きます。更にマンディさんが足だけで運転する自動車に乗せてもらって二度ビックリ。そこにはあらゆる可能性への挑戦があったのです。
 昨年、日本だけでも足で運転できる車が開発されて、こずえさんは第一号の免許証を取りました。
 その直前、教習の特訓中に彼女はこう言いました。「免許証がぜひ欲しいのです。私たちは雨が降っても傘がさせませんから」何とこの世の中に雨が降っても傘がさせない人がいたのです。「体に不自由があっても、心の障害者にはなりたくありません」と語る彼女の明るさは一体どこからくるのか。
 一方、世の中に溢れる欲求不満。命への畏敬の念を忘れた現代人に、懸命に生きるこずえさんの姿は、人間の命の尊厳を全身で語りかけています。ひるがえって、五体満足という障害をかかえた自身を問う必要がありそうです。