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2008.05.15
テレフォン説法
テレフォン説法第十六回
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テレフォン説法第十六号(昭和五十八年四月号)真楽寺のテレフォン説法第十六回をお送りします。親鸞聖人は「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いをもすべし」と申されましたが、人間は縁次第で、東にも西にも流されてゆくものです。悪縁にあえば悪を行じ、善縁にあえば善を行ずるだけで、これという自主性はありません。時代を論じ、社会を批判して、確信をもってお互いに善だ悪だと主張し合っていますがそれも時代の流れに流されているだけに過ぎません。「がんばったまま、流るるかわず哉」いずれにしても私達はその時代の流れを、一歩も出ることの出来ない存在のようです。京都南禅寺の僧堂に掲げてあった言葉が忘れられません。花はだまって咲き だまって散ってゆくそして再び枝に戻らないけれど、その時、その処に、この世のすべてを託している永遠に滅びぬ生命の喜び、悔いなくそこに輝いている私共はいつも「俺はここに在り」と主張して止みません。去るものは日々にうとしで、年老いればいつの間にか、人から忘れられてしまうことはあたり前であるのに、離れてゆくものを、あくまで追いかけて、俺はここに居るよと呼び返したいのです。谷間に咲く花は、一度も人の目につかずに散ってゆくことがあっても、それが「つまらない」とは決して言いません。だまって精一杯に、天地に咲き誇っています。そして散れば再び枝に戻ろうとはしません。何者も求めず、無心に咲き、無心に散ってゆく、それが天地と共に生きている姿であります。親鸞聖人は「つくべき縁あればつき、離るべき縁あれば離るることのあるものよ」と、淡々と言われました。離れゆく人を見ないで縁の流れだけをじっと見ておられました。信仰に徹した人の心境と言うべきでありましょう。昭和二十年の八月、太平洋戦争は日本の敗北によって終わりました。その後、近衛文麿公は大磯の別荘から、荻窪の本邸へ戻りました。そのとき長年世話になった大磯の駅長に、一枚の色紙を残してゆきました。それから一ヶ月の後、占領軍司令部は近衛公の逮捕に向ったのですが、その一瞬前に近衛さんは毒を仰いで、自らの命を断っておりました。駅長に与えた色紙にはこう書いてありました。駅長驚く勿れ 時に盛衰あり一栄一落 これ春秋
既にこの色紙を書いた時、近衛公は死を覚悟していたわけです。たとえ生涯かけた自分の仕事でも、時が来れば何の未練も止めずに棄て去ってゆく。放棄する。この大放棄こそが大人と言われる者の心でありましょう。昨年どんなに美しく咲いた花でも、尚も今年枝にあれば、その醜さに耐えぬでありましょう。花の美しさを願うならば、咲き終わった花は次の世代にその席をゆずるべきであります。人間はこの自然の教えに、もう一度謙虚に耳を傾ける必要がありそうです。