佐野新聞店
地域密着型の新聞店|沼津市の佐野新聞店
テレフォン説法第二十三回
Blog

  • Category

    カテゴリー


  • Archive

    アーカイブ

2008.11.22 テレフォン説法

テレフォン説法第二十三回

 テレフォン説法 第二十三回
 
 テレフォン説法第二十三回をお送りします。
仏教が目的とするところは、生と死の問題をいかに解決するかということです。生と死は別々ではなく、生の終着点が死ですから、この両者は一本のレールの上にあるわけです。
 人間いかに生きるべきか。十人十色の生き方があるように、十人十色の死にざまがあるわけです。最もよく生きた人が、最もよく死ねる人かも知れません。
 古人は申しました。「鳥のまさに死なんとするや、その声かなし、人のまさに死なんとするや、その言やよし」
それだけに人間がいまわの際に残した言葉は中々興味があります。
 先ずドイツの有名な哲学者カントが、八十年の生涯で最後に残した言葉は「これでよし」であったといいます。彼は生涯独身で過し、一生をただひたすら哲学に打ち込みました。日課である朝の散歩をしている姿を見て、街の人々は時計を合わせたという程、規則正しい生活をしたようです。
 何れにしても、あとに何の思い残すこともなく「これでよし」といって逝ける人は幸せです。「星の輝く空はわが上に、道徳律はわが内に」という言葉は、まさにカントの人間像を捕えて余す処がありません。
 次に不滅の大詩人ゲーテの最後のことばは「もっと光を」でありました。
八三才という永い人生の終りが近づき、視力が衰えて目の前が暗くなったので「寝室のヨロイ戸を開けて、もっと光を入れてくれ」と言ったのかもしれませんが、大詩人ゲーテであるだけに、何かもっと深い意味があるように感じられてなりません。
 次に海軍提督ネルソンがトラファルガルの海戦で砲弾をうけて倒れた時の言葉、それは「余は余の義務をなし終えたなり」でありました。この海戦で敵のフランスとスペインの連合艦隊は全滅しました。国家に対する忠誠と、提督としての責任感にあふれた言葉です。
 国内では白隠禅師の歌があります。
    「今までは他人(ひと)のことだと思いしに
             おれが死ぬとはこいつたまらん」
東海道に過ぎたものが二つある。駿河の富士に原の白隠とまでうたわれた名僧です。生死の問題はとうの昔に悟りきっている白隠だけに、何とも言えない味わいがあります。
 それに比べると、甲斐の国、塩山にある恵林寺の快川和尚が、信長の兵に追われて山門と共に焼け落ちた時の末期の偈(げ)
 安禅は必しも山水をもちいんや
 心頭滅却すれば火おのずから涼し

洵に(まことに)厳しさと共に凄まじい迫力を感じます。
 最後に親鸞聖人の御臨末(ごりんまつ)の御書です。
 
 わが歳きわまりて、安養浄土に還帰(げんき)す
 というとも、和歌の浦曲(うらわ)のかたを浪の
 寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ
  一人居て喜ばヾ二人と思ふべし
  二人居て喜ばヾ三人と思ふべし
  その一人は親鸞なり

九十年の生涯を、多くの悩める人々と共に、同甘共苦した親鸞の、静かなそして透徹した心が浮き彫りにされています。
 以上幾人かの個性豊かな人々の人生最後の言葉をご紹介申し上げました。如何でしたでしょうか。