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テレフォン説法第二十二回
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2008.10.28 テレフォン説法

テレフォン説法第二十二回

 テレフォン説法第二十二回(昭和五十八年十月)
 
 テレフォン説法第二十二回をお送りします。
 
 「偉大とは方向を与えることである」ニーチェの言葉です。
 トップに立つ人は孤独であると言われますが、昨今のようにテンポの早い時代には、指揮官のカジ取りが一つ間違えば大変なことになります。今ほど方向をあたえることが難しい時代はないのかも知れません。
 キナ臭い中東の空で、二年前、偉大な星が消えました。エジプトのサダト大統領です。世界を股にかけたキッシンジャーに言わせると「このエジプトの政治家と並ぶと、世界のどんな政治家も小さく見える。味方にすればこれほど頼もしい男はいないが、敵に回せばこれほど憎らしい男もいない」
 そのサダトいわく「必要なのはビジョンや知恵ではなく、強力なリーダーシップだ」と。彼が強力な指導者として真価を示したのは、アラブ人としては不倶戴天の敵であるイスラエルを訪問したときの歴史的決断であります。この時は「スフィンクスが動いた」と言われました。
 彼はイスラエルの国会へ乗り込んで世紀の大演説をブチました。
 「平和の障害は70パーセントが心理的要因に由るものだ。にも拘らずどうしてこの壁を打ち破るために、我々は手を差し伸べないのでしょうか。アラブ人であれ、イスラエル人であれ、戦争で失われる命は同じ一個の人間の命である。両親のいつくしみを奪われた、あどけない子供達は、アラブの子でも、イスラエルの子でも同じく我々の子供たちだ。その子供たちが安穏に暮らせるようにするのは我々の全責任である。いかなる兵士からも一滴の血を求めない平和を求めて、私はいまここにやってきた」まさに歴史の残る名演説でありました。
 数百年の歴史のカラに閉じこもっているアラブの世界に、一つの新しい方向を身をもって示したサダト大統領は、まさに偉大な人物でありました。しかしその結果は、兵士の血を流さずに、自からの血を流すことになってしまいました。
 二千五百年の昔、釈尊は人生の四苦、生老病死に感じて人間の救われる方向を説き示しました。釈迦の説くところは決して悟りすました静寂の一面だけではありません。
 毎日托鉢をしながらも、世間のいたましい後継に胸が疼いていたことでしょう。同胞の上に悩みをもち憂いをもつ。その憂いの中に自分の人生の意味を見出す人こそ「ほとけ」であるに違いありません。
 我々はにわかにこうした釈尊のような心境に到達できよう筈もありませんが、仏教徒の一人として、せめて自己一身に安住することなく、世の不幸な人々の上に思いをかけ、憂いを共にして、ほとけの本願の一分なりともわが身の上に実践して行きたいものであります。
 そういう一歩一歩の間に、はじめて私たちの個人的信仰も確立し、そこに一分地上のほほえみが感じられないものでしょうか。
 今日はニーチェの言葉「偉大とは方向を与えることである」についてお伝えしました。