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テレフォン説法第二十回
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2008.08.09 テレフォン説法

テレフォン説法第二十回

 テレフォン説法第二十回(昭和五十八年八月号)
 
 テレフォン説法第二十回をお送りします。
 
 岩の根も 木の根もあれど さらさらと
 たださらさらと 水の流るる
 
 毎日の生活が水の高さより低きに流れるが如く、淡々としてゆけるものならば、何の苦労もありません。ところが実際には、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり満身創痍になってしまいます。性格が強ければ強いほど、風当たりも強くなります。
 昔の人は、男が我が家を一歩出れば七人の敵があると申しました。人間の考え方は十人十色で、顔かたちが違うように、一人ひとりみな考え方も違います。その中で生きていかなければならないのが私共の人生です。いいことよりも、いやなことが多い世の中です。小さなことに一々ひっかかっていては、こちらがやり切れません。サラっとゆきたいものです。
 「ひとは黙して座するをそしり、多く語るをそしり、また少し語るをそしる。およそこの世にそしりを受けざるはなし」(釈迦)
 世間は誠にうるさいもので、「あいつはだまって何も言わぬ」といっては非難し、「しゃべり過ぎる」といってはそしり、「少しく語る」といっては難癖をつけます。世間の口に戸をたてることは出来ません。
 自分に忠実に生きようとすれば、一部の人の非難を覚悟しなければなりません。そうした「そしり」を無視せよというのではなく、寛大な耳を持って聞くのもいいし、反省の材料とするのもいいでしょう。しかし、それによって初心を枉げて(まげて)いては何にもなりません。こんな川柳があったように思います。
 
 気に入らぬ風もあろうに 柳かな
 
 いつか飛鳥の里を廻ったとき、お寺の山門に書いてあった言葉が忘れられません。
 
 南無 観世音菩薩
 我に 負ける力を与え給え
 
 勝つために力が欲しいのではありません。瞋(いかり)と怨を残さないで負けるには力がいります。
 サラリと負けることが出来るなら、世の争いは無くなるでしょう。なにくそ負けてたまるか-と反発する処に争いが起こります。それが実りを齎す「負けじ魂」なら結構、とにかく世間は感情やメンツに拘り易い。争うところに怒りと憎しみの地獄が出現します。この地獄を破るものは慈悲の心しかありません。
 一人の青年が言いました。「私の家ではお母さんがいつも負けている。親父にも、僕たち子供にも、母はいつもハイハイといって、どんな無理も黙って聞いている。しかしその母がいてくれるので、わが家は平和で楽しい」
 黙って負けて、相手の無理をそのまま包んでゆく。そんな大きな負ける力を成就したいものであります。
 日蓮上人じゃ申しました。
 「女人はものに随って、ものを随える身なり」
母親は家中の人のいう事にハイハイと随いながら、結局は自分の思うところへ皆を持っていってしまいます。大きな抱擁力がなければ出来ない業であります。
 悩み多き世にあって、柔軟な心を必要とする時には、この歌を思い出してください。
 
 岩の根も 木の根もあれど さらさらと
 たださらさらと 水の流るる