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“report” FromASAHI第二十一回
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2009.04.24 "Report"from Asahi

"report" FromASAHI第二十一回

“Report” From Asahi No:20 「280円」
 
 4月下旬、九州地方のある自衛隊駐屯地を訪れた。5月中旬に掲載される「自衛隊50年第3部 日米同盟(仮題)」(当文章はテレフォン説法平成16年6月号掲載)の取材のためだった。
 本来ならもっと早く訪れるつもりだったが、イラク人質事件の発生で取材がずれこんだ。世間同様、朝日新聞もご多分に漏れず大騒ぎだった。外務省詰めの記者は交代で記者クラブに泊り込んだし、遊軍の私もしょっちゅう、東京本社5階にある政治部デスク席のそばに呼ばれ、原稿の直しや記者への問い合わせなどの手伝いをさせられた。デスクの一人は、週末に自宅にいるところに、「人質解放」という連絡を受けた。「久しぶりに遊んでもらった子どもが、泣いてすがって困った」とぼやいていた。
 そんな事情で一週間も取材のスケジュールが遅れ、焦り気味の訪問だった。正式な取材申し込みはすっ飛ばし、個人的な訪問という格好で飛び込んだ。
 自衛隊は軍事組織だから非常に情報管理が厳しい。正式な取材は、すべて東京にある幕僚監部の許可が必要になる。場合によっては広報がくっついて来て、取材内容をチェックしたりする。段取りに時間がかかるし、断られる場合も多い。取材できても、なかなか本音が聞けない場合が多い。
 ところが、「面会」という形なら、個人的なお付き合いになるので、広報の許可は要らない。その代わり、不用意に記事にしたりすると、会ってくれた自衛官に迷惑がかかる。信頼関係がないとできない取材方法で、こちらもおっかなびっくりで訪れた。
 この自衛官は忙しいにもかかわらず、駐屯地の自分の部屋に私を招き入れてくれた。そしておもむろに、私にテレビのリモコンを渡した。「ちょっと会議があるので、テレビでも見ながら待ってて」。そして午後3時から6時まで、都合4回。彼は出たり入ったりを繰り返しながら、私の質問に一生懸命答えてくれた。
 夜、彼には前から予定されていた会食があった。私は一人食事を済ませ、ホテルに戻った。10時過ぎ、シャワーを浴びていると、携帯が鳴った。「申し訳ない。ようやく体が空いたから、飲みにおいで」。ちょっとさびれたバーのカウンターで2人、焼酎のロックを飲みながら、取り留めのない話をした。
 ふと、彼がつぶやいた。「洗濯物をかごに入れたままだった。早く干さないとカビちゃうかな」。その日の朝は雨だった。彼は早朝、洗濯機を回したが、干すのを断念して来たのだという。
 彼はもう50代。いわゆる将官と呼ばれる制服幹部だ。専属の車も秘書もついている。そんな人が単身赴任で、洗濯も自分でやるのか。ちょっとおかしくなって「朝ごはんはどうしてるんですか」と聞いた。
 彼は「駐屯地の中に食堂の建物があってね。朝7時半ごろ、280円持って食べに行くんだよ」と言う。秘書は「部屋まで食事を運びましょう」と気を遣ったが、「5分ほどてくてく歩いて食堂に行くのも良いもんだ」と断ったんだという。
 彼は続けて、「そういえば、今日は叔母ちゃんが大騒ぎして迎えてくれたな」と思い出し笑いをした。その日の朝は雨。彼らは制服を着ているとき、カッパは着るが、傘はささない。「軍人なんだから、常に両手は使えるようにしておけ」という意味らしい。「防衛大学校からそう教えられた」と話してくれた。当然、濡れて食堂に現れたから、食堂の叔母さんが恐縮して、タオルで体を拭こうと大騒ぎしたんだそうだ。
 その人の考え方や主張はともかく、こういう姿勢はなかなか真似ができないな、と酔った頭で思った。気がつくと時計は午前1時を回っていた。彼は「明日、もうちょっと話をしよう」と言ってくれた。別れ際、勘定を持とうとしたが、「いいよ、いいよ」と手で振り払われた。
 翌日。約束の時間に部屋に行くと、彼は笑いながら、こう言った。「やっぱり、4000円くれるかな。こういうのはちゃんとしたほうが良いと思って」
 長い記者生活ですっかりだらしなくなった私には、とても新鮮で、気分が明るくなる2日間だった。
 
朝日新聞社 牧野愛博