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テレフォン説法第三十回(昭和五十九年六月)
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2009.09.03 テレフォン説法

テレフォン説法第三十回(昭和五十九年六月)

説法第三十回(昭和五十九年六月)

 

 テレフォン説法第三十回をお送りします。

 

 芽ぶくという 奇しきいのちの はたらきを

  かしこみおもう 庭ながめつつ

 

 一輪の花が咲くのも、青葉が茂るのも、永い間の蓄積があってのこと。さりとて、いかに美しくとも、去年の花が尚も今年の枝にあればその醜にたえぬでありましょう。新陳代謝は天地の法則であります。

 そうした移り変わりの中で、年ごとに新しく芽ぶくところに、生命の不思議があります。

 

 椿千年 さらに今年の若葉なり(井泉水)

 

釈迦の肉体は二千五百年前に亡びました。しかし絶対に亡びないものがある―これは私ども仏教徒の確信であります。

 釈迦といえども、みずからが説いた「つくられたるもの、うつりゆく」という諸行無常の原理に従って、生老病死の道を辿ってゆきました。

 

 人間たれしも老化は好みませんが、さりとてそれから逃げる術もないお互いです。三日前に会った人の名前が思い出せない時など、否応なく年令を感じさせられます。

 生命科学研究所の中村室長は申します。

 人間が生きてゆく過程で最大の変化は、受精卵が個体へと変化してゆく発生の時期です。たった一個の細胞である卵が、二個、四個、八個と次々に増え、臓器や手足が出来ていきます。手が出来るときには、先ず握りこぶしのような塊ができて、その中に四本の筋が入ります。この筋に当たるところの細胞は死んで消えてゆき、こうして五本の指が出来上がります。

 母親の胎内で既に死という現象があるとは考えさせられます。所詮、生と死は隣り合わせ。それだからこそ、我々は年ごとの変化を前向きに受け止めて、老化現象さえも意味のあるものにする―そんな生き方が大切ではないでしょうか。

 文豪ツルゲーネフにこんな話があります。彼が朝早く散歩をしていると、見るもあわれな年老いた乞食に呼び止められました。

ツルゲーネフはポケットへ手を入れて、次から次へさぐったが、財布は勿論ハンカチさえも持っていません。

 「おじいさん許しておくれ。私はいま何も持っていないのだ」 途方にくれたツルゲーネフは、そう言って汚れた乞食の手を握り締める他ありませんでした。

 すると乞食は「檀那様、何をおっしゃいますか。私はこの年になるまで人生の裏街道を歩いてきましたが、けさのあなたの握手ほど心に沁みたものはありません。ありがとうございます。」といって、シワクチャの手で握り返してきました。

 

 家へ帰ったツルゲーネフは早速ノートを取り出して「私はけさ思いがけなくも尊い心の施しを受けた」と書き込みました。荒れすさんだ世の中でも、暖かい待応の中から、幸せの花は開くことを教えた一コマであります。

 

 「人は老いるうちに、より愚かになるか、或はより賢明になるかの何れかである」と申します。中高年の人々が社会の荒波で磨かれ、豊かな経験で裏打ちされた人生智をもって、世間に潤いと温かさを与えることが出来ればそれは立派な仕事であると思いますが、如何でしょう。

 真楽寺 勧山 弘