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2009.11.25
テレフォン説法
テレフォン説法第三十二回
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テレフォン説法第三十二回(昭和五十九年七月)
テレフォン説法第三十二回をお送りします。今日は無量寿経の一節。
人 世間の愛欲の中にあり
独り生まれ 独り死に
独り去り 独り来る
今から九年前、ギリシャの海運王 アリストテレス・オナシスが死にました。無一文から身を起こして、戦争と石油を踏み台にして、一世の富豪にのし上がった彼は、小さな国の海軍を凌ぐほどの船を持って居りました。
その華やかな女性遍歴は、世紀のソプラノ、マリヤ・カラスの心をとりこにして、自分の所有地である地中海の島に遊びました。更に悲劇の大統領と言われたケネディの未亡人、ジャクリーンを慰め、世界一豪華な自家用ヨットで水入らずの旅行をした末、遂に彼女を妻にすることに成功しました。
富と美女と名声、男が望むすべてを手に入れて、華やかな脚光をあびた彼も、晩年は必ずしも幸福ではありませんでした。
死の床に付き添ったのは、娘だけで、妻じゃクリーンの姿は無かったと言います。大富豪の死は孤独でした。いまわの際に彼の胸中に去来したものは、人生の勝利者としての満足であったか。それとも人間世界の空しさであったのでしょうか。
新聞が伝える彼の資産一兆五千億円という莫大な財力を以ってしても、遂に不老長寿を手に入れることは出来ませんでした。彼の死因となった筋無力症は、同時に金無力症でもありました。
人間は夫々の時代や社会の中で、生まれ育ちそして生きています。この複雑な人間関係の中で、何とかして自分の思いを通そうと考えます。人生が「自己実現の場」である以上それは当然のことです。
ところが、どんなに愛する人や、財産、地位、名誉を持っていても、あの世へ行くときは、何一つ持って行けないのが人間の運命です。そうして見ると、本当に頼れるのは自分以外には無いような気がします。しかしその自分さえも、果たしてどこまで頼りになる存在でしょうか。
生まれるのも、死ぬのも「私ひとり」 去るのも来るのも「この一人」であります。「身、みずからこれに当る。誰も代わるものなし」その孤独な自分を強く踏まえて、人生に雄々しく立ち向かう自信と勇気が、自分にあるだろうか。こんな時こそ、何か信仰を持っているひとは、幸せです。それは一人ぼっちでないからです。
一人居て喜ばば 二人と思うべし
二人居て喜ばば 三人と思うべし
その一人は親鸞なり
「同行二人」という言葉を思い出します。
宗教学者の岸本英夫博士は、ガンに侵され「あと三ヶ月の命」と医師から宣告されるや死に物狂いで、やり残した仕事の完成に打ち込みました。
「われわれは毎日、人と会っては別れて居り、再び会えるという保証はない。死とは別れであり、我々は毎日死んでいるのだ」と達観して、出会う人ごとに別れを惜しんだといいます。
人生とは所詮「出逢いと別れの場」であるのかも知れません。