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テレフォン説法第三十四回
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2010.01.12 テレフォン説法

テレフォン説法第三十四回

 テレフォン説法第三十四回(昭和五十九年十月)

 

 テレフォン説法第三十四回をお送りします。

 

 「石中に火あり、打たざれば発せず」

 

石も放って置けば、ただの石で、百年たっても動きもしないし、芽が出ることもない。

 ところが、この石を金槌で打つと火花が出る。何でもないように見えるが、考えてみると不思議です。この火花をとって火種を造っていたのが、われわれの遠いご先祖です。

その火種が間違って燃え出したが最後、猛威をふるって野山を焼き尽くすほどの大きなエネルギーになります。道端に転がっている石ころにも、例外なく世界を焼きつくすような可能性があります。

 問題はその石を打つか、打たずに放って置くかによって、無限大とゼロが分かれる点です。座禅のとき修行者を打ちすえる警策(きょうさく)という樫の棒があります。放っておけば何の役にも立たないような、時には社会の邪魔にさえなりかねない人間の、内に持っている可能性を打ち出すための策励の棒であります。

 座禅のときには、あの棒でビシっと叩いて置いて、叩いた者も、叩かれた者も、共に合掌するところに深い意味があります。

 

 この頃、何の苦労も知らずに過保護ななかで育ち、やたらに自己主張が強くなった若者を見ていると、せっかく無限の可能性を内に秘めているこの若者を、叩く人が居なかったのだろうか、と惜しい気がいたします。

 彫刻家の柳原義達さんが最近こんなことを書いていました。

 旧制中学を卒え、日本画家を志して福田平八郎先生を訪ねました。そして持参した「きんかん」の画をお見せしたところ、

 「本当のきんかんを描いていない。ただきんかんの色を塗っているだけだ」 福田先生は目の前の火鉢の炭に息を吹きかけながら、「この燃え上がる炎、炎の心を描きなさい」と言われた。その時は目から鱗が落ちる思いだったそうです。

 

 その後、ロダン、ブールデルに心酔して、彫刻の道に進んだ柳原さんは、高村光太郎先生のお宅へ伺うたびに、高村先生の熱を帯びた芸術論を聞いた。

 「ミケランジェロは人間を人間として制作した。しかし、ロダンは人間の体の中に手を入れて、人間を体から引きずり出した。それがロダンの偉大さだ。ロダンは人間そのものを触手した」この「触手せよ」の一語は、二十六才の私に天の声として響いた  と柳原さんは述べています。

 

 戦後、ヨーロッパへ留学した時、ローマの駅裏の酒場で、全く偶然に評論家の土方定一先生にお会いしたとき、「柳原君、レジスタンスだ。抵抗精神がなければ芸術は生まれないよ」と言われたその一言で、私の創作の方向が決まった―そう述懐しています。

 この三人の大先輩の言葉は、まさに座禅の警策以上に強く心を打ち、彫刻家としての柳原さんの今日を築きあげたものでありましょう。

 このような立派な恩師に出逢える人は多くはないでしょうが、こちらに求める姿勢さえあれば、心の師匠は毎日の新聞の中にも、書物の中にも、無数にあることを忘れてはいけません。「われ以外、皆わが師なり」といったのは作家の吉川英治でありました。

 「石中に火あり、打たざれば発せず」