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東北震災寄付活動について
"Report" from Asahi No:30 「貧者の兵器」
"Report" from
asahi No:30 「貧者の兵器」
(平成17年4月)
2月下旬、パキスタンを訪れた。核兵器の問題を主に取材した。外相の同行取材で1997年夏に訪れて以来8年ぶりに、首都イスラマバードの空港に降り立った。
8年前と同じホテルに泊まったが、街もホテルも疲れているように見えた。ホテルのバスタブの床は所々に傷がついて黒ずみ、外壁や調度品にも傷みが目立った。昨秋には、このホテルで爆発騒ぎもあった。当局は「電気ショートが原因」と説明しているが、民間では「レストランの男性客が置いていったパソコンが爆発した」という噂も流れた。このホテルを含め、大型ホテルのゲートには検問が設けられ、すべての車のボンネットとトランクが開けられ、タイヤに爆発物の検知器が当てられる光景が繰り返された。
軍政を敷くムシャラフ大統領は元軍参謀長。いつもは車で30分ほど離れたラワルピンディ―の軍施設にこもり、必要に応じてイスラマバードの大統領府に、猛スピードで車列を飛ばしてやってくる。過去に2度、暗殺未遂事件があった。一度は彼の車が通り過ぎてわずか7秒後に、道路にしかけた爆弾が爆発した。車には米国が与えた「電波妨害装置」が積んであったという。暗殺犯は遠隔操縦で爆弾を爆発させようとしたが、この装置のためにうまく作動せず、未遂に終わったと関係者はみている。
これほど、混乱し疲弊した社会の象徴のひとつが核兵器ではないか、と思う。
「イスラム教徒の国をつくる」という理想のもと、パキスタンは47年、ヒンズー教徒が多数を占めるインドと袂をわかち、英領から分離独立した。以来、帰属がはっきりしないカシミール地方の領有を巡り、両者はずっとにらみ合ってきた。
74年、インドが核実験に成功した。パキスタンの指導者は「草を食み、飢えてでもイスラム社会で初めての核兵器を持つ」と宣言し、核兵器作りにまい進した。98年にインドが2回目の核実験を行うと、数週間後に弾かれたように実験を行った。
実に予算の7割を軍事に投入すると言われているパキスタンであればこそ、の選択だったのだろうか。
パキスタンで会う人会う人すべての口から、「私たちは広島も長崎も知っている。でも、やむを得ない選択なのだと理解してほしい」と呪文のような言葉が流れてきた。そんな彼らも、インタビューの最後には「名前は出すな」と念を押していく。情報機関の目が光るなか、「本音は言えないのだ」という挨拶代りなのか、とさえ思った。
建国以来、パキスタンはちょうど半々の歳月を、民政と軍政の下で過ごしてきた。民主政治が定着する様子はまだ見えない。
04年2月に「個人の犯行だった」と「自白」した、パキスタン核開発の父、カーン博士。今、彼はイスラマバード市内の自宅に軟禁されている。自宅に車を停めただけで、政府の監視役が飛び出してくるという。迷ったが、結局行く勇気がなく、私はぐったりしてパキスタンを離れた。
朝日新聞社 牧野愛博
日本の世界遺産が発売されました
テレフォン説法第四十五号(昭和六十年五月)
テレフォン説法 第四十五号(昭和六十年九月)
テレフォン説法第四十五回をお送りします。
九月に入ると敬老の日がやってきます。
世界一の長寿国日本、長生きは、それ自体はまことに芽出度いことですが、裏から言えば老化するということ。
生理的な老化現象は仏教でいう人生の四苦、生老病死の一つであって見れば、決して喜ぶべき事ではありません。さりとて、これから逃れるすべもないお互いです。
肉体的には有限な人間が、精神的に死を超える道を見出すように、避けることの出来ない老化を、老衰にではなく、老成、老熟に導く叡智と努力もまた人間に与えられています。「美しく老いる」という言葉を耳にする昨今です。
人生の一番いいところ35年を無我夢中で働き続け、そろそろ油が切れ歯車もガタつく頃になると、はい、ご苦労様でした―これを定年という。いや、定年とは年齢ではない。進歩が止まったときが定年であるという説もあります。しかし定年を超えて上級管理職として生き延びる人はホンの一部。この時点に於いて、人は深刻に「老い」を考え始めます。
かつて日本占領軍の総司令官マッカーサー元帥の座右の銘に次の言葉があります。
「すぐれた想像力、逞しい意志、燃ゆる情熱、安易をふりすてる冒険心、こういう様相を"青春"という。年を重ねるだけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」
まことにけんらん華麗にして躍動的な言葉であります。そのマッカーサー元帥が司令官の職を解任されたとき、「老兵死なず、ただ消え去るのみ」といって日本を去って行ったと言います。
永遠の青春を希い(ねがい)つつも、老兵としての自覚を余儀なくされたところに、彼の悲劇があったともいえましょう。しかしそれは、大なり小なり万人に当てはまる事であるかもしれません。
老化を老衰にではなく、老熟にむすびつける道は、一芸一能に秀でる事であります。人間国宝、無形文化財といわれる人々は、その多くが老人です。それらの人々は年と共に円熟して、才能や技術に益々ミガキをかけてゆきます。それは若い時から孜孜(しし)として一道に励み打ち込んできた人々です。
これらの人にとって年輪を重ねることは、老成、円熟に通じる場合が多いのです。人間国宝ならずとも、その道の専門家になれば、自他ともに老いを感じなくて済むのではないでしょうか。
女優の沢村貞子さんは言いました。
「どんなに美しい人でも、40の次は41、泣いても笑っても39には戻らない。絵を描くなら古びたカンバスを取り換えられる。しかし役者は自分の顔を破ることも捨てることも出来ない。修理はたいてい失敗する。結局、老けるに従ってその年齢の人になり切る技術を身につけること‐それが救いになる」と。
体力がなければ智力で頑張ろう。自分に合った「これぞ生き甲斐」ということが、誰にも一つはある筈です。「私にはこれがある、生きていてよかった」と言える老人になりたいもの。
お互いに美しく老いる為にも、また「恍惚の人」にならぬ為にも、今からでもいい、努め励んで、夕映えの老後を迎えたいものです。
昭和六十年五月の出来事
男女雇用機会均等法の成立
三菱炭鉱業 夕張鉱業所でガス爆発、62名亡くなる
コーセーが「雪美粧」を発売。以後ロングラン商品となる
Report from asahi 第29回「政治家のファッション」
Report from asahi
no29(平成17年3月)
1月21日、今年も通常国会が始まった。郵政民営化やイラク、北朝鮮など課題は目白押しだが、盛り上がりは今ひとつ。小泉首相の自民党総裁としての任期が06年9月に切れるため、「勝負は来年」と考える政治家が多いからかもしれない。
そんなことを考えながら、「今年も国会が始まったなあ」と実感したのは、和服姿の議員が目についたからか。和装振興議員連盟は毎年この時期、和服で登院を呼びかけている。
政治家にとって、服装は自分のイメージを決める大事な宣伝手段だ。米国大統領選では、よく赤いネクタイが「パワー・タイ」として登場する。川口順子前外相の「勝負服」も赤色だった。逆に、その一世代前の田中真紀子元外相は、セーターやフリースといった普通の「庶民服」を好んで使った。永田町で、「彼女はテレビに自分が映る間隔を見計らいながら、同じ服をわざと着ている」という噂を聞いたことがある。テレビを見ている人は「田中さんは数日前と同じ服を着ている。そんなに服をもってないんだ」「服装に無頓着なんだ」と思うだろう、というのだが、真偽はわからない。また、選挙のたびに安い靴とスーツを大量に車に積み込み、田んぼで働く人を見つけると、スーツ・革靴姿のままでジャブジャブと分け入っていき、相手の感動を誘うという政治家もいたという。
私個人の取材体験でいうと、一番印象に残っているのは村山富一元首相だ。「そうかのお」「そうじゃなあ」と大分弁で朴訥としゃべる彼が、私が政治部に入って初めて担当した政治家だった。その素朴な人柄は服装にもよく出ていた。
当時の首相番記者は、1人に限って、官邸と国会の廊下で歩きながら首相の話を聞くことができた。私も度々名乗りを挙げて、村山さんにくっついていた。とはいえ、経験は浅いし、廊下は短いしで、気ばかり焦る。勢い、ぐいぐい体を寄せて話を聞くのだが、6月のある日、プーンと鼻についた匂いがあった。ナフタリンの匂いだった。若い私は、それまで政治家には少なからず偏見があった。「金持ちだから、服なんか季節ごとに使い捨ててるんだろう」とも思っていた。その日から、少し村山さんが好きになった。
その2か月後。8月9日のお昼前、私は村山さんにくっついて長崎に出張した。原爆慰霊式の日だった。長崎の原爆投下時刻は午前11時2分。その時刻に合わせて式典は開かれる。当日は快晴だった。私は記者席に座りながら、不謹慎にも、流れる汗でシャツがグシャグシャになっていく不快感に閉口していた。ふと、前方に座る村山首相の背中が見えた。白いワイシャツが透けて見えるほど、スーツの生地が薄かったからか、村山さんの首筋には汗一つ浮かんでいなかった。もちろん、村山さんは上着を一度も脱ぐことなく、ひょうひょうと挨拶を終えた。妙に村山さんのイメージによく合う場面で、10年経った今でも、そのときの光景が昨日のように思い出される。
ああいう、思惑や戦略、下心と関係なく、服装が自然に見えた政治家は、それ以来お目にかかっていない。
本日のマラソン大会は中止です
テレフォン説法第四十四号
第四十四号 (昭和六十年八月)
テレフォン説法第44回をお送りします。
今年もまた甲子園の高校野球大会が近付いてきました。昨今では甲子園大会は日本の夏の行事として無くてはならないものになったようです。
郷土の興望を担って甲子園へ出場することは、大変名誉なことです。ただそれが余りにもマンモス化し、過熱化した点もありますが反面、若者たちに母校愛の精神をよみがえらせ地域社会の人々に郷土愛を燃え上がらせる効果のあることも事実です。
いつか静岡新聞のコラムでこんな記事を読みました。大正15年、当時の静岡中学が全国制覇をした時の原動力、上野精三さんは、「練習に泣き、試合に笑う」のが高校野球だといいました。「負けて流す涙があるならば練習の苦しさに泣け」これは昭和14年15年に島田商業が準優勝した時の恩師の言葉でありました。
或るはまた「わが道は己が開拓せよ」これを高校野球の神髄と見ている人もあります。猛練習に泣く過程で、自分の生きる道を模索するのが、高校野球の原点だという訳です。
これらの言葉は夫夫に意味がありますが、要は野球を通して教室では得られないものを体得するところに値打ちがあります。甲子園での勝敗もさることながら、血を吐くような猛練習で体得したものは、その人の一生を支配するでありましょう。
若いときに、学問であれ、スポーツであれ一つの事に全精力を打ち込んで見る事は、決して無駄ではありません。人間誰しも何らかの長所があるもので、それを延ばさずに、世間の一律的なレールに無理矢理のせられるは、本人のためにも社会のためにも、大きな損失です。
宮本武蔵は「一道万芸に通ず」といいました。一つの道を極めたときに、それはすべての芸に通じるものだと言う事でありましょう。
その道の専門家になれば、それが己を生かし、同時に世間のお役に立つことにもなります。ごく一部の天才といわれる人は別として人間の力にはおのずから限界があります。あれもこれもと欲張ってみても、しょせんは虻蜂取らずになるか、器用貧乏で終わってしまうでしょう。
「まことに一事をこことせざれば、一智に達することなそ」と正法眼蔵は述べています。巨人軍の王選手は、バットでボールを打つことに全生命をかけました。千代の富士はあの体で巨大な小錦を倒し、山下選手は柔道の王座を八年間も確保してきました。
心技体が見事に一致した境地は、誠に素晴らしいもので、我々はこれらのスター達が檜舞台にあがった時の、華やかな姿に酔いしれていますが、その陰には血みどろの猛稽古があったことを思わずにはいられません。
「必勝の新年は、千磨必死の訓練に生ず」と申します。経済人でも芸術家でも、学者でも、スポーツの選手でも、一道を極めた人達は、一種の「悟り」に近いものを持っているようです。仏教ではこう言います。
「一行一切行、一切行一行」
台風12号の影響につきまして。
"Report" FromASAHI No:28
"Report"FromAsahi No.28
「政治資金パーティ」
パーティー。何となく、楽しくなる言葉だ。政治部に入って10数年。数多くの国会議員の政治資金パーティーを見てきた。会場は例外なく高級ホテルの大広間。ほかの政治家の夜の日程を邪魔せぬよう、開始時間は6時台がほとんど。8時には終わる。
入り口にただずむコンパニオンが、にっこり微笑んで飲み物を勧めてくれる。(「新聞記者だから」と気取って、一度も飲んだことはないが)
所属する派閥の長やら有名な財界人やらが、考えつく限りの褒め言葉を、壇上に立ちっぱなしの主催者本人と奥様に浴びせ続ける。中身はまずない。
一方、会場では政治家に挨拶して回る官僚の姿や、飲食に夢中になっているサラリーマンをよく見かける。会場に10数分留まっただけで、すぐ帰る人もざらにいる。
一体、このパーティーに何の意味があるのか。それは名前の通り、資金集めだ。しかも、近年ではその存在が、ますます重要になっているという。
12月、03年の政治資金収支報告書が47都道府県で公開された。政治家の懐具合の取材をして回ったときの話だ。
不景気が続く昨今、企業は政治献金にシビアになっている。株主総会で問題視される場合もある。一方で、パーティー券の購入なら、その場限りのお付き合いにできるし、交際費名目での処理もできる。「献金はダメだが、パーティー券なら」という企業が最近は増えているのだという。
パーティー券の価格は、1枚2万円が相場だ。これを政治家の秘書が企業を回って販売する。やり方は千差万別。ベテラン議員ともなると「固定客」が付く。5枚単位で買ってくれる「お得意さん」も多い。一方、若手議員や野党は大変だ。ある事務所は、「固定」「有望」「飛び込み」に分け、訪問や電話、郵送を組み合わせて対等しているという。そこの秘書氏は「新規開拓も大事。でも、全部訪問していては体が持たない」と話す。1度のパーティーで3千枚を売りぬくという。昔、「会社四季報」に載っている企業すべてにパーティー券を郵送した事務所もあったそうだ。
であれば。政治資金パーティーは、パーティー券を販売した段階で、すでにその使命を終えているのだ。秘書氏も「会場に来るか来ないかは、大した問題ではない」と話す。
永田町にいる大抵の政治家は「個人献金が中心になれば、どんなに良いことか」と話す。癒着がなくって、政治に感心を持ってくれれば、そりゃあ働き甲斐もあるだろう。
でも政治家にだって、「1枚2万円だけど、買ってみようかな」と考えたくなるようなパーティー(もちろん、勉強会でも良いけれど)にする義務があろうというものだ。今現在、講師や内容を工夫している政治家は少ない。
朝日新聞社 牧野愛博
